矢吹町デジタルアーカイブ

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矢吹町指定史跡 国神城跡

●文化財案内看板より
 平安時代の後期、前九年の役(1062)の戦功により、河内の石川頼遠・有光が仙道(福島県中通り)の地の一部を拝領して、石川の地に入り、藤田城(現石川町中野)に居城した。その後、矢吹の地は石川郡(イシカワゴオリ)に属し、戦国時代末期まで石川氏の支配領域内であった。
 興国年間(1340~1345)石川家十五代の領主石川詮持の弟、光定の子、石川九郎光幹が国神城に入り、「中畠(中畑)氏」を称したとの伝えもあるが定かではない。
 中畠氏は、国神城から観音山館(現中畑根宿)に居を移す。戦国時代になり常に近隣からの脅威にさらされるようになると、平城や平地の館では、防備の点で不安があったと思われる。
 国神の城は、泉川を外堀とし自然の丘陵を活かし周辺を堀で囲み、その跡は水田として残っていた。規模は東西約300メートル、南北約400メートルで、本丸にあたる高台と南部の曲輪(クルワ)は地形的にそれぞれ分断している。
 国神城は、昭和48年矢吹地区県営圃場整備事業に伴い発掘調査と地勢調査が行われ、遺構が確認された。国神城跡の中心部の丘陵部分約300平方メートルを町指定史跡として指定している。

昭和48年4月1日 町指定

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